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執筆者の写真推カケ☆批評塾

第31回推カケ 「オイスターズ『みんなの力』」を語る会 レポート

【演劇】参加者:市川さん(建築専攻・大学院生)のレポートです。演劇を建築の視点からも考察されています。ありがとうございました!

【オイスターズ「みんなの力」 批評の会感想】

 今回の作品の批評に興味があった。なぜなら社会的なメッセージがあるのか・ないのかもよく分からないまま芝居が終わり、脚本や演出は実験的な取り組みに振り切れていてあとは批評家の解読に委ねます。そんな感じがしていたから。 〔不条理〕

 初めは脚本家、演出家のスタンス「芝居=新しいことを発明すること」 についてや、俳優の演技・言語と人の性別の関係についての読み解きが行われた。登場人物の構成から舞台上に演劇集団(の構成)を作っているのではないかという批評や、決められない言わせようとするという行為に、なにか日本的な特徴を見出せるのではないかという批評があった。この話は、国というものを各々の俳優が象徴していると捉えることもできるのではないかという話に発展していく。表情や非言語メッセージの読み取りに対する言葉の量と厚さと速度の関係の 重要性についての批評もあった。


 しりとりというものを基盤として、そのルールや構成をいじっていくのは建築に似ていると思った。対応しているテーマ(しりとり)に対する耐久度は、あの長さが適切だったのかという批評があった。そういう見方もあるなと思いつつも、耐久度はどうやって決めるんでしょう。という問いも持ち合わせている。

 構造とルールがあってテキストを作成する方法と、テキストに構造とルールをのせる方法だと後者の方が話の筋が分かりやすいという言及。今回は前者だった。作り方の話。最後この終わり方がいいよりも、したいことから始めて、深堀りしていく方が発明である気がするという意見。これには納得。


 演出はどこからくるのかという話。[言葉から演出が生まれる。なぜならば文体自体が持っている持ち味が必然的に演出を縛るから]ということを言われていたんだけど、それ以外の次元の話も聞きたかった(笑)。 構成やルールが先に来る今回であれば、脚本は全てしりとりで構成されるというのがあれば、誰でも作れるのではないか。これがスタンダードになっていけば新しい演劇としての立ち位置があるのではないかという言及。建築でいうプロトタイプの提案に似ている。ただ、演劇自体はシリーズでない限り分断しているものだから、プロトタイプとは違うのかなとも考えている。恐らく演劇の方はもう一つ次元を越えた領域で語られるべきだし、建築でいうプロトタイプの意味を再考すると面白い視点が生まれるのかなと思った。成長における定期的な再考というアップデートは必要だ。(ひとりごと) 暗喩(今回ならば日本の縮図)がベースに考えていたと考えるか⇨なかった。 純粋に実験。

 しりとりの歴史の話、文字などの強さの話(じとぢ)などがあったけれど、個人的にはもっと文化的な歴史の視点があるのか知りたかった。それがあると暗喩に対する時間の幅が説明できて、意義がより明確になる気がする。


 演劇において役を作るべきか。女優さん曰く(注:今作品に出演された方で、語る会に参加されていました)「なんのためにその役がいるのかを考えるが、無理して役は作らない」という答え。音やイントネーション、間について、音と間は演出が入っていた。 劇団特有のメソッドがあるのでは?作品単体で何かを語ることもできるけど、過去の作品の中でどこの位置にいるから、こう言えるのではないかというアプローチの話もあった。これは僕はまだ入門なので、この見方はできなかったけれど、何作品か見たら話したい。


 個人的な話、このルールの究極系はなんだ?と考えると、言葉の持つ音と形と色と質感がだんだん溶けていくような次元の演劇を成立させることができると思った。共感覚の次元でしりとりしながら季節が巡ったら綺麗だなって思った。多分理解できる人少ないかもしれない。料理作ることと同じような容量なんだけど。ただこの場合は詩的な要素の方が 強いなと思う。人間の動き、音としての声と間、を上手く使わないと演劇として成立しない。早く1次元と2次元と3次元を行ったり来たりできるようになりたい。


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