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<レポート:第1部トークセッション>
「名古屋の演劇の未来〜制作観客編〜」
<レポート:第1部 トークセッション> 名古屋の演劇の未来〜制作観客編〜
2025年3月20日、損保ジャパン人形劇場ひまわりホールにて、トークセッション「名古屋の演劇の未来 制作観客編」が開催されました。このセッションでは、名古屋の演劇シーンの第一線で活躍する制作関係者やコーディネーターが集い、コロナ禍を経た現在の状況、制作という仕事の実態、そして観客をどう増やしていくかといった課題について、率直な意見交換が行われました。(第2部のレポートは後日公開予定です)
【登壇者】 (敬称略)
●平松隆之 (推力ケ☆批評塾 / 劇団うりんこ / うりんこ劇場)
●佐和ぐりこ (オレンヂスタ)
●半田萌 (クリエイティブ・リンク・ナゴヤ)
●たちばなせつこ (メロンパンクリエイション)
【司会】
●かっぱっ (推力ケ☆批評塾 / 観劇ポータル名古屋)
主催:推力ケ☆批評塾
共催:特定非営利活動法人愛知人形劇センター
協力:観劇ポータル名古屋。
第1部 トークセッション
かっぱっ: 皆さん、本日は「名古屋の演劇の未来について 制作観客編」にお集まりいただきありがとうございます。司会を務めさせていただきます、かっぱっです。本日は、第一線でご活躍されている4名の皆様をお迎えして、熱いトークセッションを繰り広げていきたいと思います。まずは自己紹介をお願いします。
平松: はい。今日はお集まりいただいてありがとうございます。この企画の言い出しっぺの平松です。普段は劇団うりんこ、うりんこ劇場で制作をしており、それとは別に様々な活動をしています。そのうちの1つが今日の主催にもクレジットされている推力ケ☆批評塾です。これは、平たく言うと、お芝居を見に行った後、みんなで語り合うという活動で、気付けば8年ほど続けています。そうした中で、私なりに語ってみたい、語り合ってみたいなということがあり、こちらの方々にお声がけして、今日この場が実現しました。よろしくお願いいたします。
半田: 皆さんこんにちは。クリエイティブ・リンク・ナゴヤという中間支援団体で、主に音楽を担当しておりますが、高校は演劇部でした。本日はどうぞよろしくお願いいたします。
佐和: 皆さんこんにちは。劇団オレンヂスタというところで、主宰と制作をしております佐和です。劇団は名古屋を拠点に活動しており、私自身も名古屋で生まれ育ちました。本日はどうぞよろしくお願いいたします。
たちばな: 皆さんこんにちは。メロンパンクリエイションという企画制作団体の代表で、主に制作として活動しております、たちばなです。普段は会社員をしており、演劇はほぼ趣味(ライフワーク)として行っています。本日はどうぞよろしくお願いいたします。
かっぱっ: ありがとうございます。前半は、事前に決めた3つのテーマに沿って話をすすめ、後半は、会場の皆様からの質問にお答えしていく形を取りながらディスカッション形式で進めていきたいと思います。
テーマ1:今の名古屋の演劇シーンについて
かっぱっ: 最初のテーマは「今の名古屋の演劇シーンについて」です。まずは平松さんからお話いただけますでしょうか。
平松: この企画を立ち上げた平松です。2020年から23年のコロナ禍を経て、見えないところでライフスタイルが大きく変化したと感じています。以前と全く同じ世界に戻ったとは言いがたいですし、演劇環境への影響も小さくありません。様々なことを振り返り、立ち止まって考える良い機会だと思います。今日は結論を出すというより、皆さんと一緒にモヤモヤと考えを共有できればと思っています。名古屋の演劇シーンを「作り手」「送り手」「受け手」の三者で捉えると、作り手は非常に多く、最近毎年誰かが受賞してるぐらい才能ある劇団やクリエイターが着実に現れています。しかし、小劇場の観客は必ずしも多いとは言えず、その存在やイメージも多様化しているように感じます。また送り手である劇場・制作側も、個々の努力は認められるものの、シーン全体を盛り上げるには至っていない現状があるのではないでしょうか。
佐和: 以前開催された「劇作演出編」のトークで司会をさせていただきましたが、劇作家の方からは、思い描く未来像として、例えば劇場の運営や資金繰りのことを考慮せず、もっと自由に創作活動に打ち込みたいという思いから、助成金申請をやめようと考えている、といった話がありました。未来への展望を描く上では制作的な視点も不可欠で、作り手も制作意欲を維持しにくいと感じます。制作、観客、両方の視点から未来を語る必要性を感じ、今回の企画に至りました。名古屋の演劇シーンは今、変革期にあると言えるかもしれません。
半田: 私は2022年に名古屋に来たのですが、ささしまスタジオさんやシアターAoiさん、内田橋の体現帝国さんなど、演劇関係者による新しい動きがコンスタントに起きている印象です。個人的な意見としては、最近の新しい劇場作りは、最新設備を備えた立派な劇場というよりは、既存の建物の良さを活かしながら、演劇人が集まって「ここで何ができるか」を考えるような、そんな新しい場所作りが続いていると感じます。東京で同じような動きを見ようとすると、数多くの事例の一つに過ぎず、シーン全体を捉えるのは難しいのですが、名古屋では、活動している人も見ている人も、制作している人の顔が比較的見えやすいと感じており、それがムーブメントに繋がりやすい土壌になっていると感じます。
たちばな: カフェ公演など、劇場以外の場所で、その場所に合わせた公演が増えているのも特徴的だと感じます。劇場費用の高騰化も背景にあると思いますが、クリエイティブな場所の選択肢が増えているのだと思います。名古屋には、演劇を趣味として楽しむ人が多いことも、ムーブメントに繋がる土壌、シーンを活性化させる要因かもしれません。最近の学生に話を聞くと、就職後も演劇を続けることが一般的になっているようです。これは名古屋において演劇がライフワークとして定着しつつあるのかもしれません。
佐和: 名古屋では、働きながら演劇をする人が多いのだろうと思います。都市規模からすると劇団数も多いのではないでしょうか。多くが社会人劇団として活動しています。私たちの劇団も15年続いていますし、長く活動されている方もいます。演劇を仕事にする人もいますが、東京に行かなくても、別の生活をしながら演劇を続けられるのは、名古屋の特色だと思います。
平松: 皆さんの話を聞いていて面白いと感じています。世代の違いや、おそらく20代の頃に影響を受けたものがそれぞれにあるんでしょうね。個人的には、ブラックボックスな劇場が好きです。それと、瀬戸内国際芸術祭のような表現の強い作品が好きなんです。今は、必ずしもそうした強い作品ばかりが求められる時代ではないのかもしれませんし、私自身もそう思ったりします。演劇に対する考え方は、本当に人それぞれ違うんだろうなと改めて感じています。
佐和: (カフェ公演などは)作り手側も観客側も敷居を下げられる二面性ありますね。劇場みたいに大掛かりな準備がいらないし、カフェという身近な空間で演劇に触れてもらえるのが良いですよね。特にコロナ禍で、劇場に行くのをためらう人もいると思うので、そういう人にとっての入り口になるかも。名古屋みたいな柔軟な街には合ってる気もします。
テーマ2:制作者を仕事にするとは
かっぱっ: 続いてのテーマは「制作者を仕事にするとは」です。制作という仕事はどういうものかを含めて、皆様の経験を踏まえてお話いただけますでしょうか。
平松: 制作の仕事は多岐にわたり、舞台上のこと以外すべて担当すると言っても過言ではないですね。俳優やスタッフの手配、広報、資金調達など、その範囲は無限に広がっています。
佐和: まさにその通りで、私も公演制作、劇団運営、劇場の施設管理、フェスティバルの運営、助成金申請、宣伝美術など、気づけば何でもやっているという感じです。名古屋のような規模の都市では、制作の仕事はより多様になる傾向があるかもしれません。東京ではもっと専門化が進んでいる印象がありますが、名古屋ではオールラウンダーとして様々な経験を積むことができる面白さがあると思います。
半田: 佐和さんが引く手数多な理由はそこなのでは?「どんな制作でもお願いできる」といった感じで。
佐和: どちらかというと、「こんなこともできますか?」と頼まれることに応えているうちに幅が広がったという感覚ですね。名古屋を拠点に活動しながらも豊岡、豊橋、静岡といった他地域での制作業務も請け負いながら仕事としているのが現状です。名古屋では制作の人手が足りない状況ではありますが、仕事が十分にあるとも言えず、私も他の地域でも仕事をしています。そのため、制作の仕事は面白いと思っているのですが、「どんどん制作で食ってく人来てください」とはなかなか言い難いです。制作者がまず率先して名古屋で演劇を仕事として確立していく必要があるのかもしれません。たちばなさんは制作業務を行う組織をつくられましたよね?
たちばな: 私たちメロンパンクリエイションは、制作で生活していくというより、メンバー全員が仕事をしながら活動しているので、社会人劇団に近いかもしれません。
平松: 制作を仕事にするということは、収入を得られるようになるということですが、フリーランスや制作会社として活動している人は、名古屋ではまだ少ないように感じます。豊岡の演劇祭では、大阪の制作者が会社化によって信頼を得て、仕事が増えたという事例もありました。プロとアマの線引きは、依頼が来た時に時間を確保できるかどうかだと、ある制作者の方が言っていました。制作が先に仕事を受注できる体制を整えることで依頼が舞い込み、結果自身の所属する劇団や俳優にも仕事が回る、と言うこともあると思います。
佐和: 名古屋は、劇作家協会のような劇作家の集団も積極的に企画プロデュースを行うことも多く、純粋な制作者ばかりが制作の仕事を担っているわけではありませんが、制作の仕事に興味を持ち、重要だと考えてくれる人が増えることを願っています。
テーマ3:小劇場の観客を増やしていくには
かっぱっ: 続いてのテーマは「小劇場の観客を増やしていくには」です。なぜこのテーマを選ばれたのでしょう?
■ なぜ観客が増えないのか?現状の課題
佐和:観客が増えないまま公演を行い続けても、公演が増えるだけで共食いになってしまい活動を持続していけません。観客を増やしたいというのは、演劇に関わる人ならみんな思っていることでしょうし、制作がそのために担う役割は大きいですよね。だからこそ、今日のテーマにしたんだと思います。
半田: この前の打ち合わせで、「小劇場の観客って何だろう?」っていう話になった時、そもそも「小劇場」という言葉の定義自体が、人によって違うかもしれないという話が出たんですよね。
■ 「小劇場」「観客」のイメージは?
佐和: 私が小劇場と聞いてイメージするのは、500人以下のキャパシティの劇場で上演される演劇のことです。定義上、観客数に上限がある中で、さらに観客を増やしたいというのは矛盾しているようにも聞こえます。しかし、観客を増やしたいというのは、作品や劇団単位で大規模な商業演劇を目指すということではなく、演劇に触れる人口を増やしたいという意味合いが強いです。コロナ禍で、演劇を観にくる人が固定化している現状を変え、より多くの人に演劇の魅力を知ってほしいと考えています。
半田: 私がイメージする小劇場は、ポピュラーなキャスティングで観客を集める手法を取らないない、商業的になりすぎない演劇公演です。また、オペラやミュージカルとは異なり、小劇場の観客は、演劇の担い手自身である場合が多いと感じています。普段は演劇に触れないけれど、人生の節目にふと劇場に足を運ぶようなそういった観客が増えることが理想だと思います。
たちばな: 私にとっての小劇場は、観客と演者の物理的な距離が近い場所です。その近さから、観客も演劇を身近に感じ、「自分もやってみたい」と思うきっかけになるのではないでしょうか。
平松: 歌舞伎を観て、明日から自分が歌舞伎役者になりたいとか、バレエを観てバレエをやりたいとは思わないというか、やれると思えないです。
半田: それが大人になってからも、衣装が素敵でバレエを始める人もいるみたいです。どのジャンルでも、趣味から表現活動を始める方がいる中で、特に小劇場演劇には、間近にいる役者なのか照明効果なのか、何か自分もやってみたいと思わせる魅力がある気がするんです。
■ 「やる人」が増えれば「観る人」も増える?
半田: だから、もっとたくさんの人に小劇場を見てもらって、アマチュアで演劇を始める人がもっと増えれば、結果的に観客も増えるんじゃないかなと。
佐和: そうですね。別にみんながみんなプロを目指すわけじゃなくてもいいですから。野球みたいにやる人を増やすことで観る人が増えるという方が、ハードル低いかもしれません。
平松: やる方が見るより敷居が低い?
佐和: そんな気がしますね。
半田: 他にも企業の研修で、発声練習とかに演劇を取り入れることもあるみたいで、それがきっかけで俳優に興味を持つ人もいるかもしれません。
■ 世代間のギャップと「シーン」の変化
平松: 小劇場の観客というイメージについて考えると、他のジャンルとの違いが気になります。(「名古屋の演劇の未来 劇作演出編」で集まった)小劇場の作り手側には、ある程度共通の認識があるように思えますが、観にきた人たちが、そこにいる作り手たちの作品を全て観にいくわけではない。ということは、観客は作り手とは同じイメージ(同じジャンル=自分が見るべき作品)を持っていないのかもしれません。ある程度のボリュームがあるように思えても、実はその中は分かれてる。あんまりボリュームがないところで増やすって大変だなって思います。
半田: そうですね。小劇場というジャンル全体を応援するようなファンが、まだ十分に形成されていなくて、「箱推し」のような、小劇場なら何でも観にいくという人は少ないのかもしれません。野田秀樹さんなどの全盛期には、熱心なファンがたくさんいたという話も聞きます。
平松: それが一番大きな違いかもしれません。僕がこのテーマをまとめられずに、ここに来ている理由もそこにあると思います。少し個人的な話になりますが、学生の頃、演劇をやるつもりは全くなかったのですが、大学でたまたま演劇サークルに入ってしまい、そこから演劇の世界に足を踏み入れたんです。当時の小劇場は「小劇場系演劇」と呼ばれていて、さらに「小劇場運動」とも呼ばれていました。その後、「小劇場ブーム」として捉えられるようになった。そこに本質的な違いを感じます。例えば、鴻上尚史さんや野田秀樹さんのような小劇場の劇作家は、おそらくアングラ世代から影響を受けていますが、次の世代はそうではないかもしれません。また、戦争を経験した(もしくはその残り香がある)世代には、その体験を語るべきという意識があるのかもしれません。しかし、私たちの世代以降は、戦争を自分たちの責任とは捉えていないように感じます。先日観た一人芝居で、劇団ジャブジャブサーキットのはせさんが戦争をテーマにした作品を作られていましたが、そうしたテーマを必然的に書くべきだと感じる最後の世代なのかもしれないと思いました。その後の大きな出来事としては、阪神淡路大震災や東日本大震災などの自然災害が挙げられますが、戦争のような全国的な共通体験とは異なり、その時代ではなく地域特有の共通体験と感じます。例えば、私は阪神淡路大震災については、高速道路が倒壊した程度の知識しかなく、語り継ぐ体験がありません。現在も、社会的に取り上げるべき大きな問題は起こっているはずですが、かつてのような全国民が共有するインパクトはないように思います。少し話は変わりますが、2005年から2010年頃にかけて、東京へ芝居を観に行くのが本当楽しみでした。「ままごと」や「柿喰う客」といった劇団の作品をよく観に行っていました。しかし今は、例えば「マームとジプシー」のような東京の有名な劇団が名古屋に来たとしても、以前のように誰もが観に行くという雰囲気ではないように感じます。画家なのにピカソを知らないぐらいの状況に思う一方で、名古屋の演劇界には東京の演劇に対して以前のような強い関心や見ることの必要性を感じなくなっているのかもしれません。名古屋だとどうしても、劇団の人として顔が知られているけれど、東京に行ったら一観客として芝居を楽しめるんですよね。東京のお客さんのなかで芝居を見ているとき、とても楽しかったんです。伝わらないかもしれないですが、何かの中にいるというような感覚があって…
半田: 匿名性が良いということでしょうか?一観客になれるというか?
平松: ただの観客として、そこで目撃する芝居っていう感じです。大学の頃は「ぴあ」しか情報源がなくて、それを見ることで、観るべき芝居が分かり、皆が観にいけば、数年後、十年後に知らない人と会っても「あの芝居見ましたよね」って共通の話題で盛り上がれた。体験と近い、あるいは大きな何かに触れているっていう高揚感がありました。僕が20代の頃にそういう経験をしたので、ただそれが再燃しているだけなのか、そもそもそういうことが今、体感として薄れているのか…
佐和: 割と、シーンの話になりますかね? 作り手側としても、2010年代頃までは、皆とりあえず「柿喰う客」や「マームとジプシー」を観るというような小劇場の世代というものがなんとなくありました。私は40歳なのですが同世代は、名古屋に限らず、以前の演劇を好まず、演劇という言葉に抵抗がある、演劇の枠を壊したいと考える人が多かったように思います。。今の若い団体はむしろ、演劇が好きで活動していると感じる人たちがいます。一つ上の世代の演劇の枠を壊した表現で演劇を経験し、その人たちの作った手法を新たな演劇としてオマージュしているようにも見えます。そして、演劇好きのために演劇をやっている世代に移ってきているのかもしれません。それが観客にどう繋がり、シーン全体にどう影響していくのかは、まだ分かりません。
たちばな: 自分も含まれるかもしれませんが、皆演劇が好きでやっています。だから、働きながらでもやりたいという気持ちが強まっているのかなと思います。ただ、見ることよりも、やはりやることが優先されるので… 無理に見に行かなくてもいいかなという人もいるのではないでしょうか。どのくらいの割合かは分かりませんが。
佐和: つまり、小劇場は割とやっている人たちが観ていたのが、今はやっている人すら観ていないのかもしれないということですね。
半田: 日本の小劇場は、元々何かに対するカウンターパートとしての運動的な側面がありました。表現活動において、既存のジャンルに対して「本質はこうではないか」という新しい表現が生まれるのは、どのジャンルでも繰り返されてきたことです。もしかしたら、見に行くモチベーションが生まれないのは、自分自身がその表現を肯定してしまっていて、新しいものを見ても価値観が変わらないと思っているからかもしれません。また、同世代の人たちが、何か今までと違う新しいことをしようとしているなら、見に行くかもしれません。
■ 「推し活」文化は演劇に何をもたらすか
佐和: 少し話題が変わりますが、推し活文化と演劇についてはどう思いますか?
半田: 推し活文化は何か目の前で起きていることを肯定する。そして、それを肯定することを通じて、自分を肯定するような循環が起きている感じがします。
平松: 私が観劇に求めるものとは少し趣が違うと感じています。私は劇場に行く際、自分自身に何らかの変化が起きることを期待しています。何を観せられるか具体的に期待しているわけではなく、むしろ分からない方が良い。ひどい時には、観劇する演目のタイトルすら覚えていないこともあるくらいで、その場に立ち会うこと自体に期待感を持っています。「推し活」的な観劇スタイルでは、同じ劇場空間を共有していたとしても、私自身に変化が起きないのかもしれません。もちろん、演じる側と観る側の共犯関係がそこで成立しているのであれば、それはそれで良いのだと思います。しかし、私が演劇に変化を求めようとする時、従来のカウンターパート(対抗文化)としてのあり方とは異なる新しいものが主流になった場合、私のような観客にとっては変化を体験しにくくなるのかもしれません。
半田: いや、それは分からないですよ。観てみたら、すごい目覚めが起きるかもしれません。
佐和: 新たな文化ですから。
平松: 例えば、2.5次元やイマーシブシアターは、私の中では「新たな文化」として整理できますし、自分が行くか行かないかの判断も比較的容易です。しかし、「小劇場」と呼ばれているものが、現在のように緩やかに多様化・変化している状況は、全体像が掴みにくく、少し分かりづらいと感じています。何だろうな。
佐和: 演劇オタクが世間的に嫌われなくなったということなのかなと思います。アニメオタクやアイドルオタクも市民権を得たように、「私は演劇オタクです」と言っても大丈夫になった。演劇好きのままでいられるというか。
平松: 昔は演劇をやっていると言うと、人目を憚ったものですよね。
佐和: そうなんですか。
平松: 僕の上の世代がギリギリそうで、親世代だと「演劇なんて」というような見方が、色々な意味であったと思います。それは多分、政治的な意味合いも含めてだと思いますが。
半田: 少し反骨精神のある人だと思われがちだったような感じでしょうか。
平松: どうなのでしょうか。それも単なるレッテル貼りのようにも思うので、何とも言えません。例えば、演劇をやりたいと言っても、「そんな食えないようなことをするな」と言われたりするのは昔からよくあったことですが、今、声優になりたいから声優の学校に行きたいという時に、「そんなの絶対になれるわけないからやめろ」とはならない。昔の演劇の文脈で言えば言われて当然だったかもしれませんが、今は言われないのは、何故なのでしょうか。例えば、「どうせ大学に行ったって大したことにならない(安心安全が手に入る保証はない)。だったら、今好きなことをしてもらった方がよい」と親も考えるようになっているのかもれません。
半田: 人がやっていることに対して否定しない風潮というのは、推し活の風潮と近いものがあるように感じます。演劇でも、劇団を推し活の対象としているような人も増えてきているように感じます。たちばなさんはどうですか? 推し活をする人は増えたと感じますか?
たちばな: どうでしょうか。あまり、私が推し活をするタイプではないので、商業的なイメージがあります。その辺りにあまり関わっていないので、ピンとは来ませんが、SNSなどを見ていると、きらびやかな舞台が増え、それを応援している人たちの文章などもよく見かけるようになったので、そうなのかもしれないという印象です。
半田: 面と向かって批判しにくくなったような感じはどうですか? 作品に対して。
たちばな: そうかもしれません。
半田:(平松さんに) 推し活が前提とされているようなスタイルでは、あまりとやかく言うものではないという感じがしませんか?
平松: そうですね。そういうジャンルのものはもう(批評を)言う必要がないのかもしれません。
半田: 佐和さんが推し活と劇団について話を振ってくださったので、佐和さんのご意見を聞いてみたいです。
佐和: 演劇に限らず、推し活のような文化は増えていると思います。推し活をしたい層に応えるような演劇も増えているでしょう。演劇の市場を拡大するために、それを取り入れるのも一つの手段です。おそらく、名古屋にもそれで成功している劇団があると思います。観客層を広げるという意味で、キャストのファンでこれまで演劇を見ていなかった人が演劇を見るようになる、あるいは2.5次元のように漫画原作から演劇に入る人もいるでしょう。ただ、演劇全体の観客数は増えるかもしれませんが、特定の層しか見なくなり逆に広がりが制限される可能性もあります。平松さんのようなタイプの観客の欲求を満たす劇団も存在しつつ、両方が共存していくのが理想でしょう。手法の一つとして、推し活文化をどれくらい受け入れているのか、他の手法も含めて皆さんの意見を聞いてみたくて話を振りました。
平松: 演劇だけがそうなったのではなく、やはり世間の流れが強く、そういう流れの中で演劇も変わってきているだけなので、そうなるだろうなという感じです。なので、それは僕が見たいものが減るというだけの話かもしれません。
佐和: でも、それこそ離れていってしまう人もいるなら、そうではない答えを見つけていきたいです。
■ 情報が届かない?作品との出会い方と批評の役割
平松: そうですね。なので、多分最終的にはシーン全体の話に戻ってしまうのですが、そういうもの(自分が見たい演劇)を見つける機能は、もしかしたら昔は批評だったのかもしれません。今散々言いましたが、足りないピースを集めたり、どこかが補強されることによって、僕のような観客がそういうものにちゃんと出会いやすくなる方法は、本当はあるかもしれません。急に批判めいたことを言いますが、ナタリー(ポップカルチャー専門のウェブメディア)は全然気持ちを書かせてくれないんですよね。
半田: 記事として取り上げないということですか?
平松: あ、違います。うりんこが50周年で、久しぶりにプレスリリースを書いたら取り上げてくれたんですけど。「こういう気持ち(狙いや意図)でやってみます」とか、そういうこと書いたら、「うちは情報を届ける媒体なんで、そこまで書かなくていいです」と返されて。僕からすると全然薄い内容だったんですけど。ただ、ナタリーはそれで成功してるし、それによって情報が届く人(受け取りやすい人)もいるんでしょうね。だから、ナタリーが悪いっていうよりも、ナタリーしかないのが問題だと思ってるんです。情報を取ることに特化させたせいで、もしくはそうじゃないメディアがないせいで、僕には必要な情報が届かない。選びようがないっていうか。昔、「FMファン」っていう隔週発刊の雑誌があって、そこにCDのレビューとかが載ってて、たくさんのレビューワーが書いてたんですよ。全く知らないアルバムでも、その人と相性がよければ「この人が言ってるならこのCDを聴いてみようかな」と思ったりしました。ナタリーでそれをするのは難しい。フラットに情報を出すことしかしてくれないんで、味のある情報源がないっていうのは結構辛いんですよね。
半田: 色々な劇団のポリシーや制作スタンスが多様化している中で、誰かにおすすめされるかどうかが最初のきっかけになるというのは、今の時代はより強くなっていると思います。名古屋で、そういう発言力のある人は、十分にいらっしゃると思いますか?
たちばな: そういうライターの方や、色々書いてくださる方がいても、キャッチしづらいのかもしれませんね。
佐和: そうですね。SNSのX(旧Twitter)でも批判が出なくなってきていて、どちらかというと一発的な話題ばかりが目につくようになってきています。言論が生まれるような場所でもなくなってきていますし、紙媒体もなくなってしまっています。本当は各劇場がキュレーション機能を持つのが、地域としては良いのだろうなと思いつつ… 名古屋の良いところでもありますが、たくさんの文化小劇場はあるけれど、基本は貸館なので、劇場側が意図的に上演作品を選定するわけではない。だからこそ自由に使えるという面もありますが、そういった機能を持った劇場は名古屋にはあまりないかもしれません。メニコン シアターAoiなどは結構主催事業を多くやっているので、あそこに行くと他地域の演劇が見れるみたいな印象があります。
半田: もしもの話ですが、「この劇場がやるものなら見に行こうかな」という入り方もあったら良いですよね。たちばなさんは普段、何か見たい公演の情報はどこから得ていますか?
たちばな: Xとかですね。あと、折込チラシを見ています。以前、三重でやっている公演で、すごく面白そうだと思ったものがあって、三重まで行きました。
半田: それはすごいですね。かなりの魅力があったんですね。
かっぱっ: さて、ここで残り時間も少なくなってきましたので、第一部を終了しようと思いますが、最後に何か一言いただけますか?
佐和: まとめではありませんが…ざっくばらんに話が広がってしまい、それぞれのテーマを深く掘り下げるまでには至らなかったと思うので、後半は皆さんに付箋に気になったことなどを書いていただき、それについて話していきたいと思います。もう少し深掘りしたい点や、話には出なかったけれど結局どうなのかという点について皆さんからお題をいただき、この後議論できればと思います。
かっぱっ: ありがとうございました。この後、休憩を挟んで後半は皆様からの付箋のコメントを受けながらディスカッション形式となります。よろしくお願いいたします。
<第2部>は後日公開予定です
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