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<レポート:第2部ディスカッション>
「名古屋の演劇の未来〜制作観客編〜」

<レポート:第2部 ディスカション> 名古屋の演劇の未来〜制作観客編〜
 2025年3月20日、損保ジャパン人形劇場ひまわりホールにて、トークセッション「名古屋の演劇の未来 制作観客編」が開催されました。このセッションでは、名古屋の演劇シーンの第一線で活躍する制作関係者やコーディネーターが集い、コロナ禍を経た現在の状況、制作という仕事の実態、そして観客をどう増やしていくかといった課題について、率直な意見交換が行われました。

 第2部では休憩時間中に参加者より募った付箋に書かれた意見、コメント等を元に登壇者を中心にディスカッションが行われました。(第1部はこちら
 
【登壇者】 (敬称略)
●平松隆之 (推力ケ☆批評塾 / 劇団うりんこ / うりんこ劇場)
●佐和ぐりこ (オレンヂスタ)
●半田萌 (クリエイティブ・リンク・ナゴヤ)
●たちばなせつこ (メロンパンクリエイション)
【司会】
●かっぱっ (推力ケ☆批評塾 / 観劇ポータル名古屋)
 
主催:推力ケ☆批評塾
共催:特定非営利活動法人愛知人形劇センター
協力:観劇ポータル名古屋。

 

第2部 ディスカッション

1. ブラックボックスと照明技術について

平松: (質問に対して)「ブラックボックスとは照明効果のことですか」というご質問ですが、僕が言うブラックボックスというのは、プロセニアム形式(舞台と客席が明確に分かれている形式)ではなく、客席も舞台も黒い壁などで囲われた空間で行うお芝居のことを指しています。愛知県芸術劇場小ホールのような場所がそれに近いかもしれません。照明家を見つける方法については、申し訳ありませんが私には分かりかねます。価格が不明という点も、直接問い合わせるしかないのではないでしょうか。

(LED照明について)時代の流れですよね。去年、長久手で見たのですが、LEDでもハロゲン系の照明に近い、かなり自然な光が出せるようになっていました。私のようないわゆる古い人間から見ても、自然光に近いレベルまで来ていると感じます。

 LEDは白っぽく、無機質で冷たい感じになりがちでしたが、その点はだいぶ解消されています。一方で、明かりを絞っていくと見え方が変わります。かなり絞ると白い感じが残ります。一般的な使い方では遜色ないレベルですが、細部を突き詰めると色味にはまだ違いがあるかもしれません。とはいえ、許容できる範囲までは来ているので、あとはどこまで求めるか、というせめぎ合いでしょう。昔のように絞るとパツンと切れることもなくなりましたし。技術は進歩していて、開発者の方々もこうした点を意

識して新しい機材を作っていると感じます。

2. チケット料金と劇場使用料の問題

 

平松: (質問を読み上げて)「料金が高くなってきたのが辛い」とのことですね。これは究極的に難しい問題ですが、一般論として、料金が高くなると友人を誘いにくくなりますよね。「6500円です」と言われると、気軽には行けない。

佐和: 単純な物価高もありますが、それだけでなく、「どうせ限られた人しか来ないのだから、この値段で来る人だけを相手にすればいい」というような、ある種の開き直りを感じることもあります。

平松: 私も急に悪口を言うようですが、例えば芸術劇場で6500円のダンス公演があっても、「これはもう自分はターゲットではないんだな」と思って行かない、というか行けない。値段にはそういう線引きをしてしまう力がありますね。「ああ、もうこれは自分はターゲットにされてないんだ」と感じてしまう。

 もちろん、作る側としてはそれくらい料金を取らないと成り立たないという厳しい事情があるのは分かります。しかし、観る側にとっては、そうした事情を考慮して観に行く人は少ないでしょう。

佐和: それと、これは個人的に昔から気になっているのですが、名古屋の公立劇場はチケット料金によって劇場使用料が区分けれています。物価が上がって、なんなら劇場使用料も値上がりしているのに、その使用料の区切りとなる設定料金が変わらないのはなぜだろう、と思います。ずっと「3000円の壁」を超えられない、というか。昔から愛知や名古屋の公共ホールではそうなっているのでしょうか。

半田: 公共ホールの場合、料金設定は規定で決まっていることが多いですね。

佐和: そうなんですね。半田: 劇場の使用規定や管理計画の初期段階で、料金体系の大枠が決まってしまっていて、簡単には変えられないことが多いと思います。

平松: 条例などで決まっている場合もありますね。ただ、それとは別に、佐和さんがおっしゃるように、同じ質や規模の作品を観るのに、昔は3000円だったものが今は4000円になっているという現状があります。そんな中、劇場の料金設定がハードルになってしまうのは、全体として見直すべき時期に来ていると思います。

佐和: 劇団側からすれば、今まで3000円でやっていたけれど、4000円にせざるを得ない。そうなると、劇場使用料が上がり、結的に4000円でも足りず、4500円、5000円にしないといけなくなる。

平松: そして、その劇場使用料の区切りのジャンプアップ幅と、チケット料金を500円上げただけでは吸収できる幅が釣り合わない。だから料金を上げざるを得なくなる。これは観る側にとっても、作り手にとっても良くない状況ですよね。このままでは劇団が活動を続けるのが難しくなってしまうので、持続可能な方法を考える必要があります。

3. 新しい観客層の開拓について

半田: 取り上げるかどうかは別として、いただいた意見は読み上げた方がいいですよね。

佐和: そうですね。では左上から読み上げます。「客層編:小劇場の観客を増やしていくには?演劇以外のジャンルをターゲッにしたらどうか?演劇鑑賞が習慣でない、外部からのファンが増えるのではないか?」といったご意見がありました。

今日のトークの流れだと、演劇をやる人を増やすのがいいのか、それとも演劇をやっていない人をターゲットにするのがいいのか、という議論にもなりそうです。

半田: 例えば、バレエファン向けの公演を企画して、バレエファンをターゲットにするとか。

かっぱっ: もし補足したい方がいらっしゃればどうぞ。

参加者A: おっしゃっていた意味合いは、バレエファンに近いかもしれません。例えば2.5次元ミュージカルなら、原作ファンが舞台を観たくて、今まで演劇を観たことがなくても足を運ぶきっかけになります。そういった、これまで日常に演劇がなかった人の動機付けになるのであれば、演劇以外のターゲットを取り込むのは有効だと思います。

佐和: なるほど。例えば、イマーシブシアター(没入型演劇)もその側面がありますよね。「その世界観に浸りたい」という動機で、演劇そのものというより、体験をしに行く、謎解きもできる、といったことがきっかけになる。

参加者A: そういう意味合いで、全く別の分野のファンを演劇の世界に引き込むことができれば、お客さんの母数が増えていくのではないでしょうか。仲間内だけで回すのではなく、どんどん新しい外部のお客さんが増える可能性があると思います。

半田: 京都には「泊まれる演劇」がありますが、あれをきっかけに演劇ファンになった人が一人でもいるなら、やる価値はあると思いますか?

平松: 別のジャンルでも近接領域はあって、そこから越境してくる可能性はあると思います。例えば、現代アート好きとか。そういう展開はあり得るかもしれません。が、全く違うジャンルから似ていると思って引っ張ってきても「これは違う」となる可能性もあります。また、映画のように、昔から小説が原作になることはたくさんありました。それは興行主の視点ではあり得る選択ですが、劇作家の立場からすると、必ずしもそういう動機で作るわけではないかもしれません。

佐和: そういう意味では、制作側から提案できる側面はありますね。劇作家からは出てきにくいアイデアかもしれません。平松: 最終的に「やりたいか、やりたくないか」という個人の動機に行き着くところが、演劇の少し変わったところかもしれません

半田: コンテンポラリー(現代芸術)経由で別のジャンルに行くというのは、確かにあるかもしれませんね。例えば、ダンサーとピアニストと朗読家でクリエーション作品を作った場合、ダンサー目当てで行ったけれどピアノに惹かれて、そのピアニストの奏会に行くようになる、ということは自分の実体験からしてもスムーズに起こりそうです。そこに「演劇のこの俳優さんを入れてほしい」と考えるプロデューサーがいるかどうかが鍵かもしれません。

平松: このテーマは無限に話せそうなので、カテゴリーごとに一つずつ拾っていきましょうか。今は客層について話したので、次は…。

 

4.公共劇場・ホールの役割と現状認識

佐和: では順番に行けるところまで回していきましょう。

半田: (質問を読み上げて)「劇場、学校、いわゆる公共はシーン(演劇界の状況)をどれぐらい把握できているか?」

平松: 公共劇場、公共ホールですね。急に視点が変わりますが。

半田: 私の前職で横須賀(神奈川県)の公共ホールにいた経験から言うと、そこはオペラ、音楽コンサート、落語などをやる典型的な地方の公共ホールでした。正直なところ、シーンの把握度合いは、個々の職員がどれだけアンテナを張っているかに大きく左右されると思います。本人の努力次第という側面はかなりあると感じます。

平松: 結局、「なぜあそこの公共ホールはあんなに活発なんだろう?」と思ったら、熱心な職員さんがいた、というケースが多いですよね。行政という視点で見ると、まず「文化協会」のような地元の団体を相手にすることが第一歩になりがちです。それが必ずしも市民全体の状況を把握していることには繋がらない、というずれはあるだろうな、というくらいで次の話題に移しましょうか。

5. 観客の志向と行動について

佐和: では、観客の方からのご意見です。

半田: (質問を読み上げて)「演劇を観たい人は名古屋にも一定数いるが、地元の劇団の公演には行かないのが課題か?音楽もそうか?」例えば、芸文(愛知県芸術劇場)で海外の著名なピアニストの2万8000円の公演には行くけれど、地元の4000円のコンサートには行かない層がいるのではないか、ということでしょうか。演劇で言えば、東京から来るキャラメルボックスの8,000円の公演には行くけれど、地元の3000円の公演には行かない、とか。

佐和: 逆のパターンもあると思います。私は作り手側でもあるので感じるのですが、作り手は地元の劇団の公演によく行きます。自分の劇団のメンバーや知り合いが出ているから、といった理由もあります。そういった公演には行くけれど、例えば東京から有名な劇団が来ても、アンテナを張っていなくて情報を取り逃がしたり、どんな内容か分からないから行かない、ということもあります。その両者がもっと混ざり合って、行き来するようになると良いのですが。

半田: これは、観客寄りの人と担い手寄りの人で、行動パターンが分かれているという仮説も立てられるかもしれませんね。担い手は担い手の芝居を観に行く傾向が強い、とか。

平松: 例えばヨーロッパ企画の公演に行くと、「こんなにたくさんのお客さん、どこから来たんだろう?」と思うくらい人がいるけれど、知り合いはほとんどいない、ということがありました。そういう感じですね。

6. 制作業務の価値と認識の変化

 

佐和: (質問を読み上げて)「20年くらい前までは、制作を外注するのは贅沢で、自分たちで手分けしてやるのが当たり前という感じがあった。最近ようやく制作にお金を払うようになってきたか?」そうですね、多分名古屋では今でもそういう側面はあると思います。悪いことばかりではなくて、劇団単位で公演を運営しているところが多いので、その中で制作の役割を分担する、という形になっているのだろうと。それが一概に悪いとは言えません。外部に任せるべき仕事ばかりではないですし。

平松: 自分たちのことは自分たちでやる、と。

半田: ただ、その制作業務を「工数」として、みんなが可視化し、共通認識を持っているかどうかは別の問題ですよね。

佐和: そうですね。

半田: (制作の)無限に仕事が増える問題があります。この仕事はこの人が担当で、3時間半かかる、といったことが明確なら、それをみんなで1時間ずつ分担することもできます。あるいは、無理なら外部に委託するという判断もしやすい。

佐和: 仕事内容としては透明化されやすく、あまり「仕事」として認識されてこなかった、という面はあると思います。ようやく、「制作」という仕事があるんだ、ということが可視化され始めた段階かもしれません。

 

7. 広報手段(チラシ・SNS・口コミ)の現状と未来

佐和: 次はチラシについてです。「チラシ、SNS、メディアの使い方はどうなっていくのか、どうなってほしいか?」

平松: 結局、今、何か商品を買う時に参考にするのは口コミじゃないですか。でも、演劇に関する口コミを拾うのは、現状では難しい気がします。私自身、何か発言するとなると保身に走ってしまい、基本的には何も言わないようにしています。対面なら話せるのですが。他の買い物なら、みんな無意識に口コミを見ているはずなのに、演劇では、その口コミにうまくアクセスする方法があまりないのが現状です。

半田: でも、音楽と比べると演劇の方がアドバンテージがあるのでは? 1週間とか2週間公演期間があるから。音楽は「あれ良かったよ」と聞いても、もう終わっていることが多い。

平松: 音楽の場合、ライブのその瞬間を逃しても、音源を聞くという別の形で関わり続け、1年後にツアーで観に行く、ということもあり得ます。

半田: 確かに。例えばカントロフ(ピアニスト)の公演を今回見逃しても、3年後にまた来てくれるかもしれない、という期待はありますね。

佐和: 同じ曲を別の人が再演することもありますし。

半田: そうですね。演劇でも、同じ戯曲を別のカンパニーが上演する場合や、同じ劇団が再演する場合もありますね。

平松: これは仮説ですが、2週間公演すれば、来たい人は全員来られるはずだと思っています。週末しかやっていないと、「都合が悪くて」という理由が出てきますが、2週間やっていれば、それは言い訳にならない。つまり、他の要因で来ていない、ということです。だから、ある程度の期間、「この日に来てください」と告知し、スケジュールを空けてもらう、ということを実現させるだけの情報量、あるいは質が必要です。観客が自分でソムリエのように「この公演は面白いかな?このチラシはどうかな?」と判断するのは、よほどの演劇好きでないと難しい。ちょっと観てみたい、という程度の人にはハードルが高いのです。

半田: SNSの中では、演劇はまだX(旧Twitter)が強いという感じでしょうか?

佐和: なんだかんだ言って、まだ利用者が多いのはXなのかな、という気はします。

半田: InstagramやFacebookではない、と。

佐和: あと、チラシについてはどうでしょうか? 私もチラシ製作をするので気になるのですが、結局、劇場に来た時に受け取るチラシの束から情報を得る、というのが一番濃度の高い情報収集の方法なのではないか、と思う部分もあります。一方で、若い世代ではもうチラシを作らない、という団体もあるようです。それで十分情報が回る、ということなのでしょうか。

たちばな: それはキャパシティにもよると思います。例えば、私たちがライブハウスでやっている演劇イベントは、せいぜいキャパ30人くらいなので、極端な話、身内だけで埋まってしまうこともあります。だからこそ、コストをかけてまで紙チラシを作る必要がない、という判断になることはあると思います。でも、もっと動員を増やしたいのであれば、紙チラシは依然として効果があるのではないでしょうか。

半田: アーカイブ(記録保存)の観点からすると、チラシは作ってほしいなと思います。例えば、将来、誰かが名古屋の演劇シーンを研究したいと思った時に、チラシがないと情報が全く残らないことになってしまいます。

 

8. 「盛り上がり」とは何か?

佐和: 次のテーマです。(質問を読み上げて)「今日の来場者はみんな小劇場演劇に盛り上がってほしいと思っているのでしょうか?」…思っていない方、いますか?(笑)

半田: いや、でも「盛り上がる」って具体的にどういう状態を指すのでしょう?

佐和: そうですよね。私の中では、集客に苦労せず、常に新しいお客さんが来る状態が「盛り上がってる」というイメージです。同じ人たちのお金だけで続けていたら、いつか枯渇してしまいますし、気の毒でもあります。

平松: これは単なる思い出話ですが、昔、年末に能楽堂で、たしかハラプロジェクトだったか、シェイクスピアなどを上演していた時期がありましたよね。

半田: いいですね!観たかった。

平松: あの頃、私は普段、ハラプロジェクトを観に行くわけではなかったのですが、あの時は何かこう、そわそわして何度か観に行き、すごく満足して帰ってきた記憶があります。普段はそうでもないけれど、「ここぞ」という時に人がたくさん集まっている、という状況。たしか8ステージか6ステージか忘れましたが、何千人規模ですごい人がいて、それだけで楽しい、と感じました。そういうのが「盛り上がってるな」と思う感覚です。

半田: 集中する、フェスティバル的な感じでしょうか。

平松: そうですね。もう一つはフェスティバル的なことかもしれません。以前、私がF/T(フェスティバルトーキョー)の話をしたのも、コンセプトがあって、それに基づいたラインナップが、面白いかどうかは別として、「なるほど」と思わせてくれるものだったからです。それに触れることで自分の価値観も形成されましたし、、当時はまだ勉強中という感じだったので、「こういうことか」とシーンに触れている実感がありました。もっと言うと、そのシーンに関わっているという高揚感、「自分も演劇の端こにいるんだ」と思わせてくれるような感覚だったな、と思い出します。

かっぱっ: 一ついいですか?「盛り上がっている」という点で、今、例えば名古屋で盛り上がっているものって何でしょうか? 音楽ですか? テレビ番組ですか? 久屋大通公園でやっているラーメンイベントですか? どういう状態が「盛り上がっている」と言えて、そこに演劇が向かう方向性はあるのでしょうか?

佐和: 結局、「盛り上がり」というのは…

かっぱっ: 盛り上がり方、盛り上がっている状態ですね。

半田: 私が名古屋に初めて来たのが秋で、その時西区に住んでいたのですが、円頓寺のパリ祭を見た時はちょっとびっくりしました。前からやっているイベントだと思いますが、まるで竹下通りみたいになっていて。円頓寺があんな風になるんだ、と。あれは、多分イベントを目当てに色々な人が来ていたから、すごく「盛り上がっている」感じがしました。それと、仕事関連の話ですが、清水にある金城(きんじょう)市場をご存知ですか? そこで「金城夜市」というものが月に1回開かれています。元々は公設市場で、今は肉屋さんしかないのですが、そこの大家さんが場所を提供して、色々なことができるイベントスペースになっています。この間行ったら、場外整理のスタッフがいたんですよ。「めっちゃ盛り上がってる!」と思いました。動員が増えて、組織として成り立ってきている感じです。閑静な住宅街なのですが、色々な担い手の方が集まってきて、美味しいコロッケ屋さんが入ったり、新しいお店が増えたりしているエリアです。そこにイベント目当てに、普段そこには来ないような新しい人の流れができている。あれは「盛り上がっている」と言えるのではないでしょうか。

平松: そうですね。商店街や、局所的な場所での盛り上がりはありますね。岐阜の柳ヶ瀬商店街も、全体として見れば昔ほどではないかもしれませんが、週末のイベントの時は、ちょっとどうかしてるんじゃないか、というくらい人がいて、盛り上がっています。局地的というか、仕掛ける人がいて、そこに人が集まる。そこに来る人も、単なる消費というよりは、何かを体験しに来ている感じです。だから、「名古屋全体で」と言われると、今は難しいのかもしれません。「日本は盛り上がってますか?」と聞かれるような感じで。小さな部分なら、「あそこは盛り上がってるよ」と言えるのですが。

半田: 静岡に目を向けると、文化的な盛り上がりで言えば、大道芸ワールドカップとかはすごいですよね。公道でパフォーマンスしたり。街ぐるみで文化で盛り上がっている雰囲気があります。

平松: 最近始まったもので一番成功しているのは、ストレンジシード静岡(静岡県内各所で開催される演劇祭)ではないでしょうか。

佐和: (スタッフとして携わっている身としては)まだ足りず、もっと盛り上がって欲しいですね。

平松: 近年始まったもので、あれほど成功している例は珍しいと思います。とても良い試みです。メインのプログラムと、フリンジ(自由参加企画)があって。ふじのくに⇄せかい演劇祭(今年から

SHIZUOKAせかい演劇祭)などと合わせて、非日常の体験ができているのが大きいのかもしれません。

佐和: 盛り上がっている場所に行く人って、そのきっかけにもよりますが、何かを消費しに行く、観に行くというより、「盛り上がっている体験」そのものをしに行く、という感覚が大きいような気もします。花火大会とか。

半田: 花火を見るのもいいけれど、夜店のワイワイした雰囲気が大事だったりすることもありますよね。平松: これはフェスティバル論になってしまいますが、メインの企画がありつつ、そこから派生してサブの動きがたくさん生まれている状態が良いフェスティバルだと思います。本来の目的とは別に、やたらと色々な動きが生まれてしまう、というのは、多分「盛り上がっている」ということでしょう。

半田: 例えば、長久手で毎年開催されている「劇王」のような、みんなが「年に1回あるよね」と認識しているイベントがあって、そのフリンジで何か面白いことが起きる、というのは未来の形としてあり得るでしょうか?

平松: 昔、KYOTO EXPERIMENT(京都国際舞台芸術祭)でフリンジ企画を募集していた時、そのフリンジ企画として、さらに別のフェスティバルを立ち上げている人たちがいましたよね。KYOTO EXPERIMENTの会場近くの河原や公園でゲリラ的に何かをやっていた。それを許容するメインストリーム側の度量もすごいし、カウンターとして何かを生み出すエネルギーもすごい。それは盛り上がっている証拠だと思います。

半田: 確かに、本流に対して、別の面白い動きや、それに応答するような言説があるのを眺めるのも面白いですよね。それも「盛り上がっている」と言えるかもしれません。

平松: メインがあるかないか、というのも大きいですね。

参加者B: 今の話に関連して、作品を楽しむだけでなく、「盛り上がり」を体験するために劇場に行く、ということになると、それは演劇のプロモーションやプロデュースのあり方として新しい可能性があるのではないでしょうか。「体験」を売る、という方向性ですね。

平松: 劇場の良さは、まさにその臨場感、「盛り上がり」だと思います。ストック(蓄積)だけでなくフロー(流れ)、その場で湧き上がるものを大切にしたい、という欲求が人間にはあるのではないでしょうか。社会全体では、溜め込むことばかりが重視されがちですが、今この瞬間に生きている時間、その場で湧き上がる体験が減っている気がします。運も使い果たすものではなく、その瞬間に生まれるものだと私は思っています。だから、「盛り上がり」、あるいは「劇場体験」は重要ですよね。行くだけで楽しい、という感覚はありますから。

半田: 動員が見込めるところで演劇をやる、というのも面白いかもしれませんね。「なんとかプロジェクト」みたいに。例えば、確定申告会場の前で、確定申告ができていない人の苦悩を描く朗読劇をやるとか。

佐和: (笑)みんな、うんうん、と頷きそうですね。確定申告を分かりやすく解説するとか。いや、解説しなくてもいい。「確定申告つらい!」という気持ちを共有するだけでも。

平松: それはメロンパンクリエイションならやれるんじゃないですか?

たちばな: (笑)(観客席にいるメロンパンクリエイションメンバーから)怒られますよ。

9. 名古屋の演劇の課題と未来

佐和: (質問を読み上げて)「美術や音楽と違う点として、教育と産業・雇用のカテゴリーで考えられる。教育面では、大学に専門学科がなく、育成機関がない印象。産業・雇用面では、地元テレビ局制作の番組での地元人材活用が少ない。また、中日劇場のような自主公演を行えるホールが少なくなっている。」という点が挙げられていますね。

半田: 昔はテレビの仕事なども結構あったのでしょうか?

佐和: あったらしいです。ラジオドラマとか。平松: 私と同世代の長崎の劇団主宰者(フーズカンパニーの福田さん)から聞いた話ですが、テレビはなくても、地方局のラジオドラマなどで、少し前までは演劇人が収入を得る機会があったそうです。昔は地方の放送局が楽団を持っていたり、子供向け番組を制作していたりしました。大昔は生放送しかなく、地元に演者がいないとコンテンツが作れなかった。しかし、次第に「地方で作るより、お金をかけたリッチな東京制作のものを流した方が良い」ということになり、制作現場が東京に集中してしまった。あるいは、大阪で朝ドラが制作されているように、拠点があれば、小劇場の俳優が朝ドラに出演する機会もあります。実力のある、味のある役ができる俳優が地元にいれば、それは良い循環だと思います。名古屋の場合、俳優がそのスキルを使って稼げる収入源を見つけるのは、かなり難しい状況かもしれません。例えば、うりんこ(劇団)の研究生だった子が東京へ行き、結婚後、通販番組で「若奥さん」役の仕事をした、という話を聞きました。「ピンポーン、はーいみたいな短い出演で、半日で10万円くらいの収入になったとか。東京ではそういう形で仕事になることがある。でも、名古屋ではそういう機会はあまりないだろうな、と思います。

半田: 確かに、東京の知り合いの俳優さんは、CMの仕事をしている人が結構いますね。名古屋ではCMの仕事はあまりないのでしょうか?

佐和: 地元企業向けのCM制作自体が少ないのかもしれません。地方制作のテレビ番組も少ないですし、広告を作る際にも名古屋の支店製作があまりないと、名古屋の役者にわざわざ声がかからない、ということは多いと思います。広告業界にいた経験からもそう感じます。…この項目自体、かなり俳優目線での意見ですね。

半田: そうですね。構成作家さんなどはいらっしゃいますか?

佐和: YouTubeなどで活動している人はいますね。

半田: 最近はポッドキャストで収益化している人もいますね。劇団が自分たちのポッドキャストをやったらいいのに、と思うこともあります。

佐和: 新規参入は難しいのかな、と素人目線では思ってしまいますが。

 

10. 「趣味」と「仕事」としての演劇

佐和: (質問を読み上げて)「趣味の延長としてライトに演劇をやっている人と、仕事として背負ってやっている人が、同じ『小劇場演劇』としてまとめられることに思うことはありますか?」

平松: 最初に「趣味で」という言葉がありましたが、それはおそらく「職業」や「専業」を目指さない、という意味で使われているのだろうと解釈しました。レベルが低いとか、適当にやっている、という意味ではないだろうと。その前提で話します。昔、ある作家さんとお酒を飲みながら話したことがあるんです。専業として書くことと、他に仕事を持ちながら作家活動をすること、その両者の違いについて。私はアマチュアで芝居をやっていた時期も、劇団に入って会社員としてやっている今もあります。アマチュアの頃は「プロは大変だな、これで食べていくなんて」と思っていました。逆にプロの立場になると、「アマチュアは大変だ、昼間仕事して夜稽古するなんて、すごいな」と思う。結局、その作家さん同士も、お互いがお互いを「大変だ」と思い合っていて、結論としては「どっちも大変」ということになったそうです。私個人の考えとしては、面白い作品が観たい、作りたい。そのためには時間をどう使うか、という問題です。当時の私は、フルコミットする方が目標にたどり着きやすいと思ったので、仕事として選びましたが、それは「仕事にしたいかどうか」ではなく、「良い作品を作るためにどちらが良いか」という選択でした。だから、その作家さんたちの結論、「どっちも大変、その上でどっちを選ぶか」というのが、私には一番しっくりきます。「アマチュアがどうの」という点については、先々週、大阪で全国学生演劇祭を観てきましたが、めちゃくちゃ面白かったです。正直、ちょっと洒落にならないくらい、色々なことを思い知らされました。ですから、そういう括りでは一概には言えない。不思議ですよね。プロ野球の方が草野球より面白い、というのは一般論としてあるかもしれませんが、演劇を見ている限り、そのようには分けられないと感じます。

佐和: 私の劇団は「半セミプロ」みたいな立ち位置でやっています。劇団員の中には、演劇だけで生計を立てているメンバーもいれば、社会人として働きながら活動しているメンバーもいます。仕事にしているかどうかは別として、公演に向かう姿勢はみんな同じです。「良い芝居を作りたい」という思いは

共通で、それぞれの役割(俳優やスタッフ)を担っているだけ。時間の融通が利きにくいなどの事情は考慮しますが、気持ちとしては同じ立場でやっているつもりです。昔、俳優の火田詮子(ひだ せんこ)さんにインタビューした時に聞いた言葉で、「心は永遠にアマチュアで、技術はプロでありたい」というものがあります。

平松: 火田さんが言うから説得力がありますね。

佐和: うまく説明すると野暮ですが、それくらいの精神でいれば、メンタルはそんなに変わらない。であれば、あまり「趣味か仕事か」は関係ないのかもしれません。

11. ハラスメントに対する意識と対策

半田: (質問を読み上げて)「このシーン(名古屋の演劇界)は、ハラスメントに対する危機感が弱いように感じる。それぞれの考えを聞きたい。」

平松: うりんこ(劇団)は名古屋の演劇界ではかなり端っこの方なので、全体を語ることはできませんが、他の地域、例えば東京など(詳しくは知りませんが)と比べて、危機感は弱い気はします。最近『ホワイト・フラジリティ』や『ナイス・レイシズム』といった本を読みましたが、非常におすすめです。要は、男性優位な社会の中で、それを内面化し、無自覚に特権的に振る舞ってしまうことへの自覚が問われている、ということです。この場に(男性である)私が立っているだけで、すでに特権的

な立場にある、ということをどれだけ意識できるか。その意識が低い、というのは確かにあるだろうと思います。うりんこは株式会社なので、法的な義務として、ここ2、3年で介護休業の規定などを整備する流れの中で、ハラスメント対策も行うようになりました。年に1、2回、全団員でハラスメント研修を受けています。最初は弁護士さんを呼んで一般的な話を聞き、次に創造現場でなぜハラスメントが起きやすいのか、といった具体的な話を聞くことで、以前よりは問題について話しやすくなったと感じます。大昔は、劇団全体が「夜中まで稽古しても良い」と思い込んでいるような状況もありました。しかし、たとえ全員が合意していたとしても、それが許されるわけではありません。頑張っている人に対して「そこまでやらせてはいけない」という視点も含めて、何らかの対応が必要だと考えています。

佐和: 若い世代の方が、ハラスメントに対する意識が高いというか、対策を取り入れる必要性を感じている、という印象はあります。

たちばな: 私たちの「メロンパンクリエイション」を立ち上げる際にも、規約やガイドラインを作成しました。その中には、ハラスメントが起きた場合の対処法も必ず明記しています。私自身、代表という立場なので言動には気をつけていきたいです。 そうならないように、他にも役員という役職を置いて、問題発生時には代表者以外も含めて迅速に対処するという体制は一応整えているつもりです。ただ、なんだかんだ言って知り合い同士で集まった団体でもあるので、変な意味で馴れ合わないようにし

たいと思っています。「親しき仲にも礼儀あり」で、これからも続けていきたいです。 また、そういう抑止力になるアイデアとしては、やはり劇団でのクリエーションの場がどうしても閉鎖的になることが、ハラスメントを助長してしまう可能性があると思います。もちろんハラスメント自体が良くないことが大前提ですが、閉ざされた場がそれを受容してしまう可能性があるので、やはり「誰でも来ていいよ」というオープンな空間を、我々のような団体も保ち続けること自体が、ハラスメント対策にもなり得るのかな、と思っています。

平松: 「あいつがああいう奴だから」と言っている限りにおいては、あまり解決しません。まず構造の問題だと捉えることが重要です。例えば、研修で言われたのは、先輩・後輩が2人で話す時には、絶対に個室のような閉鎖的な場所には行かない、ということです。もし2人きりになりそうになったら、「先輩、これってもしかして…今2人だけで大丈夫ですか?」と確認するくらいの意識を持つ。「あ、ごめんごめん、確かにこの前そういう話だったよね」と、少しオープンな場でするようにする。それくらいしてちょうどいい、と思わないとなかなか難しい。僕がそういう風に思えるようになるにも、やはり何度か研修を聞いて、「なるほどね」と思う経験が必要でした。「そんなの面倒くさい」と思うか、「なるほどね」と思うか、大変ですよね。

佐和: 名古屋でもだいぶ浸透してきたとは思いますが、そういう研修などはあった方が良いと思います。ただ、ハラスメント講習を受けることで、今までの創造環境でうまくいっていた部分も壊されてしまうのではないか、と少し牽制するような、守りに入ってしまう部分もあるのかな、とは思います。しかし、自分たちでも理解していなくて、「あの人はああいう人だから」という認識で、新しく入ってきた人が実は怖い思いをしていた、ということが後で分かるケースもあります。それは本来、クリエーションにおいてデメリットでしかありません。私も色々研修を受けて、「良いクリエーションをするために、そういう意識があった方が良い」と強く思うようになりました。そのための知識、という風に捉えるともっと浸透していくのではないでしょうか。

半田: 今、ちょうど過渡期に来ていると思います。この数十年でようやくそういう意識を持つ人が増えてきている段階かと思います。元々それが自分の価値観だと思ってきたところから考えをアップデートするのは、結構大変なことです。能動的に意識を変革していくことにはエネルギーが必要です。だから、中間支援組織としては、既に研修を受けられている方が増えている現状を踏まえ、さらにそういう価値観を共有できる場をもっと作っていくことが、全体的な創造環境をより安全で安心なものにしていく一助になるかなと思って、私たちも研修などを企画していきたいと考えています。

平松: ゼロから考えなくても、今はいろんな、例えばアーツカウンシル東京などが提供しているガイドラインのベースになるようなものが容易に手に入ります。全部をゼロから構築しなくてもいい、というのはメリットです。僕らからすると、そういうものを最低限紹介することはできますが、実際に動くとなると難しい。ただ、知る機会は、映像教材なども含めてだいぶ増えています。

 

12.登壇者の未来への期待①(半田、佐和、平松)

かっぱっ: 時間がそろそろ迫ってきています。登壇者からで色々話していただきましたが、何か会場からありますか?今のハラスメントの話以外でも全然構いません。ちょっと聞いてみたい、話してみたい、ということはありますか?

半田: (挙手を待つ間に) 私は最初にも触れたように、演劇一本で仕事をしてきたわけではありませんが、今日の佐和さん、たちばなさん、平松さんのお話を聞いていても、やはり色々な世代で、色々なことを軸に、かつ多様な活動をしている人がいるのだな、と感じました。普段いる場所とは違う意見を聞く機会というのは、すごく良かったなと思います。それが、もっと皆がお互いの動向を知る機会が増えたら、すごく面白いのではないかと思いました。 名古屋の良いところは、適度に顔が見えつつも、見えすぎず、皆がそれぞれ自分のやりたいことをやっているところだな、と思っています。9割がこの派閥、みたいな感じではないというか。そこがもっと活性化してくると、「名古屋はこれもこれもこれも見るところがある」みたいに、周りからも思われるようになる。皆の個性がキラキラと輝いているのが分かると、面白い未来になるのではないかな、なんて思いました。

佐和: 未来、思い描く未来。さっきも少し話しましたが、演劇は人生を豊かにしてくれるものだと思っています。ただ、今はそうではない側面もあると感じています。ハラスメントの問題、活動していると貧しくなってしまう問題、チケット代が高くて観に行ける人が限られる問題など。それによって、演劇に触れていない人から「別に自分の人生に必要ないものだ」と思われてしまっている。そういう部分を払拭していって、「演劇というのは自分の人生のためになる、あった方がいいものだ」というのが、世

の中の共通認識になっていくような未来になるといいな、と思っています。

平松: うっかり、本当に1作品、なんならその中の1個のセリフで、「あ、ちょっと人生変わったかも」みたいなことって、多分ありますよね。仕事にしているような方は、多分そんな経験があって、今も続けているのだと思います。演劇の面白いところって、すごいいいのを見た時に、「あれ見た?」とかって、相手が「いや、別に見てないし」って言ってても、すごく語りたくなっちゃうところだと思うんです。 僕はそういう経験があるので、演劇に救われたと思っています。最近、学生演劇祭などで若い人

と接することも多いのですが、「人生ひっくり返るなんて思ってないんだろうな」と感じるのが、すごく寂しい。いやいや、本当にね、人生ひっくり返ることってあるんだけどな、って。それを、なんとか味わってもらうには…どうしたらいいのか。基本、この会を設定している時点で、悲観的な、「どうしよう」という気持ちから始まっているので。今日の中で、ヒントの糸口みたいなものは、僕の中ではあったかなと思っています。それをどういう風にしてったらいいんだろう、と。最終的にもやもやする回になりましたが。

13.会場からの意見①:文化振興事業団の視点

参加者C(今野): すいません、名古屋市文化振興事業団の今野と申します。行政と公共の話が出たので、少しお話しさせてもらおうかと思いました。文化振興事業団は、中村文化小劇場やアクテノン(演劇練習館)などを管理しています。演劇練習館のデータを見ると、名古屋市域の劇団数は200を超えています。これにはプロ・アマ、活動休止中の団体も含まれますが、220か230くらいあります。また、高校演劇部に所属している高校生の数も、(少し古いデータですが)2000人を超えていたと思います。演劇に

関わる人口は結構な数がいることは分かっています。 ただ、さっきから何度も話に出ているように、観客が外に広がっていくかというと、その顔ぶれはすごく少ない。演じている人が観客にもなり、その家族が見る、といった限られたコミュニティの中で完結してしまっている。これは、文化振興事業団としても認識していて、なんとか変えなきゃいけないと考えているところです。 特に高校生が演劇を続けたいとなった時に、将来の仕事として選択肢に入るかというと、ほぼ入らない。これも問題だと感じ

ています。そこをなんとか未来につなげられないかと考え、とりあえず走ってやってみたのが、今月の頭に中村文化小劇場であった「シアターパフォーマープロジェクト」です。色々考えながら、走りながら考えているので、反省点も多いのですが、

一応そんなことは考えながらやっています。 客層とか、仕事というところで考えた時に、すごく…聞いていて腑に落ちることもありますし、やはり全体の空気感として、そこは問題というか、何かひっくり返していかないと色々なことが変わっていかないんだな、と今日改めて思いました。感想みたいになってしまいましたが、ありがとうございます。

14.会場からの意見②:「手塚治虫」は演劇界に現れるか?

参加者D: 私が書いた付箋のことなのですが、演劇、名古屋というか、演劇全体の未来についてです。私、脚本家で、演劇以外の映画やボイスドラマなども手がけています。漫画やアニメも見るのですが、付箋には「手塚治虫的な人がいない」と書きました。 要は、一般の人、何も知らない人に「漫画家で知ってる人は?」と聞くと、漫画を知らない人でも「手塚治虫」なら知っているし、「鉄腕アトム」「火の鳥」「ブラックジャック」といった代表作が出てくる。そういう人が、演劇にはいないのではないか、と。 「平田オリザさんがいる」と言っても、一般の人で知っている人は少ないし、代表作となるともっと分からない。すごい才能を持っていて、ものすごく面白くて、芸術にも一般向けにも通じる、そういう人がどこかのタイミングで一人バーンと出てきたら、一般層に「お、演劇すごいじゃん」と認知され、人が集まるのではないか、と。 じゃあ、どうすればそういう人が現れるのか。一つは才能が現れるのを待つしかない。あるいは、間口を広げる、とかもあると思いますが、どうなんでしょうか。

半田: 三谷幸喜さん的な?

参加者D: 三谷幸喜さんも思いつきますが、じゃあ舞台で何をやっていたか、るのか。我々は演劇をある程度知っているから分かりますが…。

平松: ギリギリ、「三谷幸喜って演劇やってた人なんだ」みたいな認識でしょうか。

参加者D: そうですね。

平松: 佃典彦さんが岸田戯曲賞作家なんだ、とか?

参加者D: その「岸田戯曲賞って何?」となってしまうと思うんです。

平松: 確かに。大きなことは言えませんが、例えば、ままごとの『わが星』がすごく注目された時は、個人の才能はもちろんですが、それだけではない複数の要因がうまく重なって、ある種のシーンが生まれたのだと思います。その状況を、いやらしい意味ではなく、作り出すことも可能なんじゃないか、とか。確かに、劇王は一時、すごく見に行っていた時期がありました。「劇王だけは気になる」という時期が数年はあったはず、と私は体感として思っています。そういう意味では、何かが生まれる土壌を作

ることに、少しでも参加できることはあるのかな、と。

半田: 人を引き寄せる引力を持つ人、みたいな存在が良い、ということですね。

参加者D: 以前聞いた話ですが、映画が最近少し落ちているのは「アニメのせいだ」と。アニメに才能を奪われている、と。映画を見て「宮崎駿すごい!」となり、「俺も!」とアニメに行ってしまう、みたいな。そういう凄まじい才能を発掘する作業も必要だと思います。

平松: 藤井聡太くんの影響で将棋を始める子がいる、みたいなことはきっとありますよね。

半田: お笑いとかもそうですよね。今、演劇などのクリエイティブな才能が、他のジャンルとの交流があるかというと…あるかもしれない。でも、情報量が、雑誌『ぴあ』で全部見られた時代と、今、全く追いかけられなくなっているビッグデータの時代で、「手塚治虫的な人物」が現代に現れうるか、という話はまた別で議論できると思います。次のテーマとして「名古屋の演劇の未来・手塚治虫編」はどうですか?皆さん言いたいことがあるような気がします。面白い視点ですね。

 

15.登壇者の未来への期待②(たちばな)

たちばな: 現状、自分のやっていることとしては、自分たちの公演のため、というのもありますが、ライフワークとしての演劇を伝え続ける方向で動いていきたいと思っています。だから、もっと、…なん

か臭い言い方ですが、「あなたのそばに演劇を。」みたいな未来が描けるといいなと思いつつ、今のままじゃいかんよな、とも思うので、もっと、…やはり「そこにいたら何かやってる」という空間を作り続けることが大事なのかな、と今は思います。もちろん、色々な構造の問題があるので、顔が見える今のご縁を、もうちょっとなんか混ぜ混ぜするというか、今、私が上の世代の人たちと同じ土俵に立ってお話できているような場を、もっともっと、今客席にいる人たちも含めて対話しながら、解決策を探っ

ていけるといいのかな、と思いました。なので、第2回とか…

平松: いいんじゃないですか。定点観測してみるとか。…ちょっと2回目があるということは私は断言しませんが、アンケートがありますよね。そこに、もしよろしければ、今回のテーマについてとか、何か今後語らせたいことを書いていただけると、我々も「なるほど」と思うので、アンケートにぜひ感想とプラスして、「こういうことについてはどうなんですか?」とか、「この時に話したいんです」とか、「なら私が主催します」とか、色々書いていただければ、何かしらできると思うので、ぜひアンケートをそのようにお使いいただけたらいいかなと思います。

かっぱっ: はい、では、今日はここで締めたいなと思います。アンケートの方、ご協力よろしくお願いします。今日は長時間にわたり、皆さんお集まりいただき、ご清聴いただき、ありがとうございました。

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