(以下は、ツイート毎の繋ぎを削って体裁を整えたバージョン。) 早1ヶ月半経過。本作は推カケ批評塾の劇評課題でもあり、そちらは別途2本仕上げたのだけど、ネタとして書き出した 3000 字から半分しか使ってない。触れてない箇所を更に増補してノーカットディテクター ズエディションを投下(笑)
総論として、ヂスタ得意の演出「描く対象とは異質の素材を使った美術/道具の運用により、具象と抽 象の狭間で揺れ動いている感覚」は今回も秀でて、身体表現とも相性が良い。ドミノノで培ったモノが高 密度に圧縮され、七ツ寺の近距離で身体/心理が迫る力は小劇場の醍醐味そのもの。
そして綺麗事では済まない登山の裏側を感じさせる現実味にも痺れた。マイナーな中にも厳然と存在 する悪意なきマジョリティとの軋轢、否応なくカテゴライズされ切り捨てられる個人としての存在。一般的に山屋(登山家)のドラマとして注目されそうな、自己と極限状態との闘いではなく...多分に...題材として 「個人と社会の軋轢そのもの」をそのままライブで提供している感触でした。結果として問題解決としての切り込みの甘さは否めませんでしたが、その渦中で思い悩み苦しむ人物の表現は人間ドラマとしての魅力に長けていました。
さて、具体的な話をしていこう。本作は「美しすぎる登山家」として持て囃された曰く付きの女性登山家 「前地悠子」...その世界最難関 冬期 K2 での遭難死を巡る物語で、彼女の回顧展に向けた「関係者へ の取材」から「遺品捜索登山」へ... そこに次第に明かされる悠子遭難の真相を絡めつつ、取り巻く人々 の描写から悠子の心理と境遇に想いを馳せる...そんなガチの登山演劇でした。
当初、登山の芝居を作ると聞いた時には...その冬山のスケール感、苛烈さ、極限状態を舞台上で表し切れるのかを懸念しましたが、それは全くの杞憂でした。平台を組み合わせて階段状にした斜面で基 本構造を成し、個々のエリアは素舞台と言っても良いほどシンプルで、抽象的な舞台装置が七ツ寺共同スタジオのブラックボックスに程よく溶け込んでいる。そこに演者が操る...舞台内外に拡がる「白いロープ」や、幼少時の悠子&凛姉妹の「あやとり」等により、観客の視界に要所で描かれていく...素描や効果線の如き”線”の演出が拡がり、それが人間関係や社会の"しがらみ"をも想起させてとても効果的 でした。そして更には、終盤ではそれが "K2" そのものの山峰を浮かび上がらせたのも印象的でしたね。紐と言えば、命を救う「ザイル」も蜘蛛の糸を思わせたし、時として舞台を取り巻いたロープも... 作演ニノキノコスターさんが大好きなプロレスを彷彿とさせる「(人生の) 闘いのリング」の様相とも言えるし、悠子の実家の生業である「水引き」も意味ありげな存在感があって、総じて "線" に、色んな意味合いを託していた様に感じられました。
「極限描写」の方も実に秀逸でした。特に次の2つ...捜索隊に同行した夫・弥太郎(今津知也)が、低酸素と極寒と疲労に苛まれ、本人の聴覚に身体の内底から響いてくる様な「身体の軋みと悲鳴」が役者が発する台詞と音響のメリハリで見事に表現された。
そしてそれに続き顕現した悠子(宮田頌子)の遺体。そこから再現されていく悠子の最期が痺れる。彼女が死の淵で体験する「走馬灯の様な幻覚の繰り返し」... そこから見える悠子にとっての人の繋がり...クライマックスに繋がっていくこの一連の描写は実に見事で、登山演劇を標榜するに相応しい表現でし た。
そして坂野嘉彦の音楽。黙々と穏やかに進行するテンポは登山との相性も良く、エキゾチックな調べ もアクセントとして利き、死と隣り合わせの陰鬱さも作品のムードを代表する。何より聴き返すと確実に舞台が脳内に蘇る辺りに、観客が受ける印象に音楽が占める比重の大きさが窺える。
さて、個人的にはここからが本論。当初、表面的にはジェンダーギャップが意味あり気に存在感を持つかに見えましたが、実際に描き出されたテーマに繋がる鍵と思えたのは、悠子の「矛盾を内包した行動」でした。
登山が好きなのか嫌いなのか、続けたいのか辞めたいのか、登頂したいのか敢えて失敗しなければならないのか、生きて帰りたいのか死地を探しているのか、腐れ縁の登山家屑木に対する「好意と悪意が綯い交ぜの不可解な態度」も含めて、悠子の激しく相反する行動と心理描写が物語中を行き交い、ミステリーじみた印象すら湧くのが実に興味深く... とても面白いひと時となりました。その混乱の中、物語は... 彼女の登山が「何の為のモノだったのか...」にフォーカスされていった。
悠子の行動に対する外部評である「凡人(悠子)が挑み続けることで、凡人(庶民)に勇気を与える...」 には、当初は悠子の素の態度の悪さも相まって...些か「胡散臭さ」が醸されていたが、遺品捜索隊の 面々が遂に見つけた遺品の手記を言葉通りに受け取り、「悠子が本当に他人の為に登っていた」とする 美談めいた幕引きに落とし込まれていく。
しかし、実のところ、私は...その落しどころに納得し難いものを感じています。なぜなら、作品がそこまで積み上げた「悠子の内面」は、そんなシンプルなものとは思えなかったからです。悠子には生来の性 格として「負けん気が強いが下積みは好きではなく、興味の赴くままに準備不足でも飛び込んでいく性急さ」を抱えているのが窺えます。それはある意味で...冒険家に必要な本能を備えているとも言えますが、 一方で「上質な冒険家」として有るべき理性は欠けている部分が多いと強く感じられました。登山家のモチベーションというと...英国の英雄的登山家マロニーの発言を祖とする「そこに山があるから...」が有名で、私はこれを「エゴイズム的な征服欲」として解釈していますが、いずれにしても「自分の為」と理解しています。(ただし悪い意味では捉えていません。登山家としてあるべき本質でしょう。) 然して彼女の登 山歴の少なくとも前半生は、確かに男性社会である登山界への反発も窺わせはしますが...基本的には同じくエゴイズムでしょう。後半「父の自死」や「田部の犠牲」が内心の転機として生まれ...「他人の為」の心理が湧いても...一つ増えただけでそれが一貫した動機には成り得ないと思えます。何故なら...彼女 の言動は「揺れ」が激しく、著しく一貫性を欠いていたからです。
ここで、私は彼女の行為を「無理に美化する必要は無い」と思っていて、彼女の苦悩はそのままで実に人間的で、ドラマとしてとても魅力的です。また、他人の為に...を主因に押し出すことは、山屋の本質を否定している気もしています。(そこが私の感じた違和感なのかもしれない。)
犯してしまった失敗を正当化しようと無理を重ね、結果的に取り返しのつかない末路に至る... 言わばビジネスにおけるコンコルド効果による弊害ですが、その愚行こそ、まさしく「人間らしさ」です。自業自得として、四方八方に...引くに引けない状況を作ってしまった悠子の心理。(そこに彼女を追い込んだ 彼女を取り巻く社会背景(性差別等)の理不尽さへの反抗心を加えるのは勿論自然です)
矛盾した行動と態度は 彼女のその葛藤そのものであり、特に「子づくりの動機」に纏わる彼女の内心 の吐露...「自らを地上に繋ぎとめる為の理由」として我が子を求めたこと...それは彼女の追い詰められ た心情とあらゆる葛藤の中で、抜きんでて意味深く思えました。そこまでは「足枷」としての意味付けに見えた「お腹の子の存在」を 180°正反対に転じて、格段に印象を深めていたと思います。
この作品は、最終的に人々各々の人生を「ヤマ」と模して、自分の拘りや大事なものにしがみつき、地 に伏しては幾度となく立ち上がることを繰り返す「不屈の生き様」を、コンテンポラリーダンスの如き群舞で表わして幕を下ろします。悠子の凄まじい足掻きと葛藤はまさしくその代表と思えます。動機や行為の良し悪しは別として、...人の生き様の描写として評価すべき... 愛すべきと思えました。 だから、彼女の足跡を追った遺品捜索隊が彼女の手記を鵜呑みにすることも...、彼女のヤマを美しく飾って終わらせたい...それを残された者の心の拠り所としたい...そんな気持ちであったのなら納得できると今は思います。...そういう心理を呼び起こす... そういう意味で汲み取るなら私にも説得力のある... 「神々しく輝く死に姿」でした。 なお、あそこで女優が脱ぐ異質さは、もしかしたらその必然性について揶揄される向きがあったかもしれませんが、照明を受けて輝く氷柱の如く舞台にそびえる悠子の背中に...私は山そのものをイメージし ました。有名な... 「朝日を受けて山頂部のみ黄金色に輝くマッターホーン」の光景のイメージです。彼女は死して... ついに山そのものになった... そんな印象を受けました。そんな神々しさが、先述の私の解 釈の礎になっているかもしれませんね。
さて、もう一つ大きな話。当初はテーマの一つに見えたのが...登山界が男性社会であることを背景にした女性登山家への性差別問題。先にも触れた所謂「ジェンダーギャップ」です。ただし 女性作家作品 にしては意外にも...その差別に甘んじざるを得ない様な...些か「認知の歪み」的なロジックの一般化や ネガティブ思考が作品に顔を覗かせていて、問題提起というよりは「女性の肉体的な限界」への諦観と ...そこからの出来得る限りの「足掻き」として描かれるに留まった印象でした。そもそも、男女関係無しの「悠子の身勝手さ」に対する自然な反感が、周囲の非合理な一般化(女性の登山限界論)を引き出してし まった印象もあって、ジェンダーギャップをテーマにするには些か噛み合わせが悪くなり、中途半端な後 味になったと感じています。作品的には「山男たちの陽気さ」が明らかに数少ない笑いと癒しの存在感を 持っていることから...両者が雰囲気的に打ち消し合う現実味はあるかもしれず、ある意味 "悪意なき"女性蔑視(軽視?)の感触を浮かび上がらせているのは「風刺」として汲み取れる気もします。言ってみれ ば、テーマというよりは「善悪混在する現実感のある背景描写」と捉えるべきなのかもしれません。
当日パンフを読み、作品を振り返るにつけ、根幹はモデルとなっている(男性)登山家の無謀なまでの チャレンジ精神と...彼を窮地に追い詰めた環境ではないかと思え、その点を作品としてジェンダーギャッ プに置き換えようとして煮詰めきれなかったのでは... そんな想像もしています。
あとはちょっと各論。
テーマとして思考を巡らせると主流には成り難いのですが、本作を語るのに忘れてならない存在感を放つのが登山家屑木和伸(松竹亭ごみ箱)です。悠子の登山をサポートする屑木の「献身」と... 穿った見方をすれば「執着」も、非常に謎めいていて、終始興味を引き続けました。その人柄が実に味わい深い好人物であっただけでなく、この芝居の登山演劇としての「質とリアリティ」を支える登場人物として、本作の MVP だと思います。
それでも、彼の一連の行為の源泉が「悠子をこの道に引き込むキッカケを作ってしまった罪悪感」 というのは、すんなり腑に落ち過ぎて「な〜んだ」って意外性を欠いた後味に留まったのは残念でした。 勿論、悠子に恋愛感情を持っていたら、それはそれで話が安くなってしまうのだけど、屑木の存在感ゆえに...それ相応のドラマとインパクトが欲しかったと思うのは贅沢でしょうか。やはり彼こそはピュアな山屋 ... 俗人とは一線を隔した存在...ということなのか... 山の妖精さんだ... ゴミ箱兄さん尊すぎる(錯乱)
余談ですが、屑木は悠子のモデルの実在登山家の名前をもじって引き継いでおり、悠子と屑木... 2 人でモデルを分かち合っている... そんな気もしました。
一方で... 悠子をビジネスに利用(?)して最終的に死地へと誘ったプロデューサー水戸弘明(中居晃 一)の存在感も突出していました。描き方次第では、悪役として絶大な存在感を誇る主役級にも成り得た と思いますが、結果的に周りが揶揄するほどの悪意を感じさせることもなく、さして断罪もされずに終わる... これも些か拍子抜けな後味だったのですが、「登山そのもの」が社会で生き残るために欠かせぬビジネス面を担う存在... 資金工面が切っても切り離せない海外遠征登山の「必要悪」... そういった現実を無理やり呑み込んだ落としどころかなと解釈しました。
悠子の妹・凛(W キャスト:暁月セリナ・坂本あずき)の登場で交わされた「方言(南部の信州弁?)」も印象深かった。ニノさんは「ネヴァダの月」でも見事に方言を扱って演出効果を高めてみせたけど、心情を含めた「親密さ」の表現に対する嵩上げ効果がとても大きかったです。
登山部関係の面々の芝居は、先に触れたようにジェンダーギャップ的にはネガティブな側面を見せる一方で、作品中で唯一 笑いを誘う演出シーンであり、本作において希有な息抜きの場所であったことは間違いありません。登山演劇のリアリティの一翼も担っていたと感じていて、特に手柴謙介(本田歩夢)の一連のトレーニングシーンのアクションは面白かった。植村直己(藤原孝喜)を筆頭にした山男の厳しくも優しい振る舞い、登山と酒のやりすぎで脳に酸素が足りてないのでは笑と思える牢名主的な存在 野口健(スズキカズマ)も良い味を出していて好みでした。
田部淳子(大脇ぱんだ)からは、ある意味で悠子と類似の環境に置かれながら上手く凌ぎ、遂に生き抜いた強かさを感じました。彼女の理屈は詭弁混じりな気もしましたが...それこそ活きる術。無理を強い、 矛盾と戦うメンタルの強さも伝わってきた。手柴との組み合わせも良い塩梅です。
さて最後に...登山カメラマン 五十嵐亜美(伊藤文乃)。彼女は本作のストーリーテラーとも言える立ち位置で「悠子の生き様」に想いを巡らせ、同じ女性として謎に迫ろうとし、プライドを掛けて悠子の足跡を追う登山を全うしましたが、田部の台詞と同様...私も彼女の解釈を彼女の言葉で、しっかり聞いてみた かった気がしますね。ただ、それが語られずとも... それが彼女の山屋としての人生を妨げる結論ではなかったことが...エピローグからは伝わってきたとは思います。 .
.. あ、コロナ対策にも少し触れておきましょう。 スタッフ・観客共にマスク着用は当然のこと、入場時に個別に手洗い/消毒をさせる動線を確立、その徹底さは当時観た中では一番の防疫態勢。緊急事態宣言"前"当時の自粛対象規模を下回る様に席数を 削減、当日券を出さない、背後の大扉を開けての換気等...取り得る対策を全て行って...ヂスタは己の 拘りのヤマを無事に登り切りました。
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